春日局の肖像画
春日局
江戸時代前期の女性で、3代将軍・家光の乳母。本名は斎藤福。よく知られる「春日局」とは朝廷から賜った称号。父は明智光秀の重臣・斎藤利三、母は稲葉良通(一鉄)の娘。山崎の戦いのあと父・利三が処刑されると母方の一族である稲葉重通の養女となり、重通の養子・正成の妻となったがのちに離婚し大奥へ出仕した。1604年、家光が誕生すると家光の乳母に任命された。家光が3代将軍となると春日局は大奥を取り仕切るようになり、やがて家光の権威を背景に大奥だけでなく幕政にも影響力を持つ権力を握った。没後、春日局が江戸の湯島に建立した天沢寺(現・麟祥院)に葬られた。辞世の句は「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」。墓所は麟祥院のほかに、神奈川県小田原にある紹太寺。ちなみに、春日局といえば、3代将軍の座を巡って家光と忠長の兄弟による継嗣問題が起きた際、局が駿府にいる大御所・家康に直訴した逸話が有名だが、これは江戸時代の創作と近年では考えられている。
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