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第4代横綱 谷風梶之助(2代)の錦絵(画・勝川春好)

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第4代横綱 谷風梶之助(2代)の錦絵(画・勝川春好)

谷風梶之助(2代)
江戸時代中期に活躍した大相撲力士。江戸相撲を代表する大横綱で、歴代横綱の第一人者(第4代横綱だが実質的に初代横綱とされることも)。本名は金子与四郎、愛称は古今十傑、仙台の谷風など。身長188cm、体重160kgと非常に巨漢だった。生涯成績は258勝14敗16分16預5無112休。陸奥国宮城郡霞目村(現・宮城県仙台市若林区霞目)の豪農の家で生まれる。幼少時から怪力だったという伝説が残る。1768年(明和5)に「秀の山」の四股名で力士となり、翌年、「伊達関森右ェ門」に改名し初土俵を踏んだ。その後、徐々に頭角を現し「2代目谷風梶之助」と改名、1781年(天明元年)には大関となり、“史上最強の力士”雷電為右ェ門や小野川喜三郎とともに相撲黄金期を築いた。そして、1789年(寛政元年)には小野川喜三郎とともに初の横綱免許を授与される。また、11代将軍・家斉の上覧相撲では将軍から弓を賜りこれを手に土俵上で舞ったといわれ、これが現在の「弓取り式」のルーツとされる。連勝街道を驀進した谷風だが、1795年(寛政7)、当時、江戸で大流行していたインフルエンザにより現役のまま他界した。墓所は故郷である仙台市若林区霞目にある。また、仙台市青葉区にある勾当台公園には谷風像がある。谷風は実力だけでなく人間的にも非常に優れており、横綱の模範とされる。

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