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晩年の楠本イネと娘・高子

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晩年の楠本イネと娘・高子

楠本イネ
オランダお稲の名でも知られる。 天領・長崎で生まれる。父はドイツの医師・博物学者として有名なフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト、母はシーボルトお抱えの遊女だった瀧(お滝)。 幕末において、シーボルト門下の宇和島藩二宮敬作から医学の基礎を、石井宗謙から産科を、村田蔵六(後の大村益次郎)からはオランダ語を教わった。 日本人女性初の産科医として有名である。

楠本高子
シーボルトの娘・楠本イネの子。 天領・長崎で生まれる。 イネの産科医としての師・石井宗謙がイネに対して強制的な情交を持ったことで授かったとされており、出生当時は「タダ子」とよばれていた。名前の由来は高子自身が語っており、「何事も天意であろう、天がただで私(高子)を授けたものであろうとあきらめまして…」との理由による。 13歳まで祖母・お滝によって育てられ、琴や三味線、舞など芸事に打ち込んでいて、医学の道を志して欲しかったイネを落胆させていた。 しかし、最初の夫・三瀬諸淵に先立たれた後、高子は母と同じ産科医を目指す。その勉学の道半ばで、高子は医師・片桐重明に強姦されてしまい、子を身ごもったため、医師の道を断念した。 のちに医師・山脇泰助と再婚。一男二女をもうけるが、またも夫に先立たれ、以後は母・イネとともに暮らす。この頃、高子の生計を支えたのは、医学ではなく幼少時に熱心だった芸事であった。その腕は、孫の米山彰によると「琴曲の山田流、生田両流の奥義を極め、権大教正の最高位をかち得た」とのこと。 高子自身が語っている。「考えてみますると、祖母の一生も母の一生もそして私にもほんとうにいろいろなことがございました。」

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