佐久間象山
佐久間象山
さくまぞうざんとも読む。思想家および教育者として、勝海舟や吉田松陰に大きな影響を与えた。
若い頃は朱子学を学んでいたが、藩主・真田幸貫の命令により洋学研究の担当となる。佐久間象山は西洋兵学を入り口に、西洋学問の第一人者となり日本初の指示電信機による電信を行ったほか、ガラスの製造や地震予知器の開発まで成功させる。
ペリー来航時は攘夷論を主張していたが、のちに和親開国論者に立場をかえる。
その後、幕府の命令により上洛。当時上洛していた徳川慶喜に公武合体と開国の必要性を説くことになるのだが、これにより京都に潜伏していた尊王攘夷派に目をつけられることとなる。
1864年8月、幕末四大人斬りのひとり河上彦斎らの手により暗殺される。
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