梅田雲浜
梅田雲浜
通称は源次郎。号は雲浜、湖南。
小浜藩士時代、藩主・酒井忠義に海防策を建言したところ、藩政批判ととられ藩籍を剥奪される。
その後、浪人として各地を遊説してまわり、尊王攘夷派の思想的指導者となっていく。
当時の江戸の実権を握っていたのは井伊直弼であり、朝廷を無視して諸外国との外交を進めていたが、そのやり方に強い危機感をおぼえた梅田雲浜は井伊政権打倒を画策。
雄藩である水戸藩に幕政改革を求める密勅(戊午の密勅)を降下させることに成功するのだが、これが結果的に井伊直弼の態度を硬直化させる。
最悪の弾圧行為として後世に知られる安政の大獄を引き起こしてしまい、梅田雲浜も捕らえられてしまう。
いかなる拷問にも口を割ることはないまま、1859年獄死。
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