沢村惣之丞(海援隊)
沢村惣之丞
海援隊隊士。浪人の子として生まれ間崎哲馬から学問を学ぶ。土佐藩時代は、武市半平太率いる土佐勤王党として活動していた。
その後、吉村虎太郎とともに脱藩。一時帰国はするが、坂本龍馬と再び脱藩し勝海舟の門下生となり、神戸海軍塾、神戸海軍操練所に入る。神戸海軍操練所では、坂本龍馬ら後の海援隊の同志とともに英語・数学・航海術などを学んだ。沢村の学力は操練所内でも抜きんでていたと伝えられていて、なかでも英語が堪能で、海援隊では外人応接掛の重要ポストを担当していた。
1968年、維新の混乱により無人状態の長崎奉行所に自主的に入居し、長崎の治安維持につとめた。ある日の警備中、酒を帯びて抜刀している暴漢を射殺したが、これが薩摩藩士・川端平助だったことが発覚。
沢村惣之丞は薩摩・土佐の関係悪化を招かないよう自刃して果てた。薩摩藩側からは切腹を止められていた。
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