徳川家定
徳川家定
江戸幕府第13代征夷大将軍。在職期間は5年。前将軍・徳川家慶が黒船来航の19日後に死去してしまい、幕府が大混乱のなか将軍を後継した。
生来身体が弱く(脳性麻痺ともいわれており)、未曾有の国難にあたる指導力や体力はないため、老中らに幕政は一任していた。
薩摩藩主である島津斉彬の養女・篤姫(天璋院)のをめとったことでも知られる。
実子がないことや家定自身の身体の弱さにより、在任中から後継者争い(将軍継嗣問題)は激化。一橋慶喜が有力とみられていたが、家定が徳川慶福を自らの意思で推したことで決着。将軍継嗣での明確な意思表示は、徳川家定の最初で最後の将軍らしい行動ともいわれている。
条約勅許問題で政局が紛糾するなかで病死。
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