姉小路公知
尊王攘夷派の公家。日米修好通商条約締結に反対する公家によるまさかの抗議行動(廷臣八十八卿列参事件)の指導者として活動。三条実美とともに江戸の徳川幕府に攘夷実行を催促し、家光以来、約230年ぶりの将軍上洛を実現させるなど時勢を動かす役割を果たした。
数々の実績により、攘夷派の志士の支持を集めていたが、のちに開国派に転じたとみなされ、「天誅」と称して刺客に襲われ殺害された。(1863年7月5日 朔平門外の変)。
実行犯は、幕末四大人斬りの一人・田中新兵衛(薩摩藩)とされているが、田中が尋問の隙をついて自害してしまったため、真偽は不明のままである。