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伊藤若冲の肖像画

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伊藤若冲の肖像画

伊藤若冲
江戸時代中期に京で活躍した「奇想の画家」。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)とも号す。京の錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生まれる。23歳の時に父の死をうけ枡屋の主人となったが、絵を描くこと以外に興味は持たず、40歳になると弟に家業を譲り隠居、絵の道に専念するようになった。その画風は独特で、超絶した技巧による緻密な写実と奇抜な構成が幻想的な世界観をつくりだしている。代表作に、多種多様な動植物があざやかな色彩で描かれた「動植綵絵」30幅、釈迦涅槃図に見立てた果物と野菜を描いた「果蔬涅槃図」、若冲が得意とした鶏をメインに描いた晩年の代表作「群鶏図障壁画」、モザイク画のような「升目描き」という手法で描かれた「白象群獣図」「樹花鳥獣図屏風」、拓版画によるモノクロの世界で淀川下りを描いた「乗輿舟」など多数。85歳の生涯を閉じるまで数多くの名作を残したが、晩年は京伏見にある石峯寺の五百羅漢石像や天井画などの制作に力を注ぎ、没後、同寺に葬られた。墓所はほかに京の上京区にある相国寺にも。

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