織田有楽斎の肖像画
織田有楽斎
織田信長の弟のひとりで、武将としてよりも茶人として名高く利休十哲のひとり。
本名は織田長益。通称は源五。有楽斎如庵と号し、有楽、有楽斎と称される。おもな官位は侍従、従四位下。前半生は不明な点が多い。
1582年の本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、御伽衆として摂津国嶋下郡味舌に2000石を与えられた。その後、剃髪し「有楽」を号するようになる。
1600年の関が原の戦いには長男・長孝とともに東軍に属し、武将として活躍、戦後には大和国内に3万2000石を与えられた。秀吉の側室・淀殿の叔父に当たることからその庇護者的立場にあり、そのため1614年の大坂冬の陣では大坂城にいた。城内では穏健派の立場をとり、徳川方との講和交渉に尽力した。
翌1615年、大坂夏の陣が勃発する直前、大坂を離れ京に隠居、以後、茶道に専念し独自の茶風を確立すると有楽流を創始した。なお、京の建仁寺に有楽が建立した茶室「如庵」は現在国宝に指定されており愛知県犬山市に現存する。ちなみに、東京都千代田区にある有楽町の地名は、江戸時代に同地周辺に有楽の屋敷があったことに由来する。
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