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十返舎一九の肖像画(歌川国貞 画)

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十返舎一九の肖像画(歌川国貞 画)

十返舎一九
江戸時代後期に活躍した戯作者、浮世絵師。弥次さん喜多さんコンビでおなじみの滑稽本『東海道中膝栗毛』の作者として広く知られる。本名は重田貞一、通称は与七、別号に十偏斎や酔斎など。武士の子といわれる。駿河国府中で生まれ、のち江戸へ出て武家奉公し、19歳の時に大坂へ居を移し大坂町奉行・小田切直年に仕えた。その後、浪人となり「近松余七」の名で浄瑠璃『木下蔭狭間合戦』に合作者として参加、戯作者としての道を歩み始める。再び江戸へ戻ると、敏腕プロデューサーで版元の蔦屋重三郎に寄食しつつ、黄表紙や洒落本などを書く。1802年(享和2)、滑稽本『東海道中膝栗毛』を刊行、これが大ヒットし、以降、1822年(文政5)までの21年間という驚異的な長期連載となり、一九は曲亭馬琴や山東京伝とならぶ流行作家として多忙を極めるまでになった。晩年は中風を患い67歳で他界、辞世の句「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら」には一九らしいユーモアがあふれる。墓所は東京の浅草にある東陽院。火葬された際、死に際して一九が自ら体に仕込んでおいた花火に点火した、というエピソードは有名だが、これは創作といわれる。著書はほかに、黄表紙『心学時計草』、洒落本『恵比良之梅』、人情本『清談峯初花』、読本『深窓奇談』、滑稽本『滑稽 江の島土産』など多数。

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