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吉良上野介の木像(愛知県西尾市の文化財)

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吉良上野介の木像(愛知県西尾市の文化財)

吉良上野介
江戸時代前期の武士。高家旗本。『忠臣蔵』こと「元禄赤穂事件」での敵役として知られる。官位から「吉良上野介(きらこうずけのすけ)」と通称される。幼名は三郎。家紋は丸に二つ引・五三桐。名前の読み方についてはこれまで「よしなか」とされてきたが、所領のあった愛知県吉良町の華蔵寺に収蔵される古文書から現在では「よしひさ」と考えられる。高家旗本・吉良義冬の嫡男として江戸鍛冶橋にある吉良邸にて誕生(陣屋があった群馬県白石の生まれとも)。義央の吉良家が務める「高家」とは幕府における儀式や典礼を司る役職で、いわゆる「名門」の家柄。1701年4月21日、江戸城本丸大廊下(通称:松の廊下)にて勅使接待役だった赤穂藩主・浅野長矩に背中と額を背後から斬りつけられた。長矩は即時切腹、義央は一命を取り留めた。しかし、1703年1月31日、江戸の本所にある吉良邸に討ち入りした大石良雄ら赤穂浪士47人により義央は首を討たれた。墓所は東京の中野区にある萬昌院功運寺。義央というと、『忠臣蔵』での“悪役”イメージからその評価は低かったが、実際は領主として治水工事や新田開拓に尽力しその功績や人柄から“名君”と慕われていたともいわれる。

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